Candy Stripper デザイナー板橋よしえ連載「おしえて好きなひと」 第9回 寺澤真理
デザイナー板橋よしえが大切な友人や一度会ってみたかった人々と、
様々なことを本音で語り合う対談連載。
第9回目のゲストは、Candyが過去2回、伊勢丹新宿店本館2階の「TOKYO解放区」で
POP UP STOREを出店した際にお世話になったバイヤーの寺澤真理さん。
作り手に焦点を当てた空間をプロデュースするバイヤーと、作り手側であるブランドのデザイナー。
立場は違えども共感し合う2人が「伝える」をテーマにそれぞれの思いを語り合った。
「バイヤーという肩書きなんですけど
キュレーターみたいなイメージです」(寺澤)
板橋 まず、最初に寺澤さんがどういうお仕事をされているのか、読者の方にわかりやすく教えていただけますか?
寺澤 私はバイヤーなんですけど、「TOKYO解放区」の場所を作るのが仕事なので、バイイングは勿論イベントの企画を1からやってます。世の中の楽しいことや今のファッショントレンド、注目の人を探したり、新人のデザイナーをピックアップしたりとか。バイヤーという肩書きなんですけど、どちらかというと、ディレクターとかキュレーターみたいなイメージに近いかもしれないですね。1つのテーマを持って、そこに今の出来事や注目のブランドを盛り込んで、ファッションという形で紹介するのが仕事です。だから、バイイングもするんですけど、品揃え以外に店頭でのイベントを考えたり、媒体の方への情報の発信の仕方とか、全部、考えてます。
板橋 寺澤さんはすごく頭の回転が早くて、同時進行でいくつも異なる企画を抱えながら、一瞬でいろんなことをバーって考えて動かしている。それってなかなか同じように出来る人はいないと思うんですよ。キャパオーバーになっちゃって。
寺澤 全然キャパオーバーです(笑)。
板橋 でも、人より全然コップの容量は大きいと思うなあ。
寺澤 もう必死ですよ(笑)。でも、一瞬でいろんなことをバーって考えるのがもう、癖のようになってますね。
——最初からバイヤー希望で伊勢丹に入社したんですか?
寺澤 いえ、全然そんなことはなくて。元をたどれば、学生の時にやりたい仕事がめちゃくちゃいっぱいあって。
板橋 例えばどんなことなんでしょう?
寺澤 音楽も好きだし、ファッションも建築もアートもカルチャーも好きだしって。だから、学生の頃は雑誌の編集がやりたいなと思ってたんですよね。
板橋 寺澤さん、向いてそう!
寺澤 だから、出版社も受けたんですけど、落ちちゃって。その時に、学校の先生に「君がやりたいことは流通にあるよ」って言われて、いくつか受けたうちの1つが伊勢丹で。たまたまだったんです。ファッションは好きだけど、ファッションの仕事がしたいってそこまで強く思ったわけではなかったし、特にバイヤー志望でもなかった。ただ、確かに、振り返ってみると、いろんなものが大好きだったことは、結果的には今の仕事に全部繋がってて。あと、人間観察も好きだったんですよね。こういう人はこういう服が好きなんだなっていうのを見るのも好きだったので。
板橋 一番最初はどの部門に配属されたんですか?
寺澤 趣味雑貨というところで、普通に販売員をやってました。その部署に面白い、変わった人たちがいっぱいいて。雑貨なのでいろんなことを扱うんですよ。クリスマスギフトもやるし、夏の暑中見舞いのカードとか、季節ものやイベントものは全部やってましたね。そのあと、趣味雑貨から化粧品の部署に異動したんですよ。
板橋 え! 全然想像つかない。
寺澤 そうそう(笑)。でも、美容部員としてスキンケアを紹介したり、お客様にメイクしたりしてました。
板橋 なんと! 寺澤さん、そんなことまで出来るのですね! 驚きです…! そしてその後は?
寺澤 美容部員をやっていたのが20代の半ばから後半くらいだったから、人生をすごい考えて。20代後半って、女子はみんな悩むじゃないですか。留学する人もいれば、転職する人や結婚する人。自分はどうしようと思った時に、学生の頃の思いに立ち返って、そうだ、当時雑誌の編集をやりたいって思ってたんだから、まずは転職せずとも社内でできることは? と考えて、洋服の編集をすればいいんだって思って。で、自社編集の売り場に希望を出したんですよ。
板橋 その売り場はすでにあったんですか?
寺澤 社内で応募していたプロジェクトがあったんです。その年は受からずに移動できなかったんですけど、翌年に婦人服の部署に異動して。当時、新宿店のリモデル、再開発のプロジェクト計画があったんですよ。リーマンショックで経済が不安定な状況もあり、何度も延期になっていたんですけど、その時からいろんなイベントを企画するようになって。これからできる新しいお店のテスティングとして、いろんなイベントを企画して。それがニーズに合うか、今後必要か検証しようっていうことをはじめて。そこからいろんな人に会うようになったし、いろんなことを考えるようになったんですよね。
板橋 それはもう「TOKYO解放区」として?
寺澤 その時はまだですね。でも、そこで1000本ノックみたいな感じでいろんな企画を考えて、その時に人の繋がりができて。イベントを考えることもたくさんやって。そこで、当時の上司に、「伊勢丹新宿店の再開発オープンに際して、どういう売り場ができたらいいと思うか?」って聞かれた時に、「伊勢丹のファッションの代名詞だった『解放区』のように、デザイナーズ系ブランドが好きだった人たちに向けた売り場を作ったらいいと思う」っていう意見を言ってたんです。そしたら、翌年に再開発準備のチームになって、「解放区」のリプロデュースである「TOKYO解放区」と完全に自主編集のセレクトショップ的な「DECADE」という2つの売り場を作ることになって。その2つのショップのコンセプトとか品揃えとかを全部、0から計画して、2つのショップを同時に作ってましたね。