Candy Stripper デザイナー板橋よしえの「おしえてすきなひと」 第4回 相澤樹
デザイナー板橋よしえが大切な友人や一度会ってみたかった人々と、仕事や人間関係、ファッション、
音楽、映画、本、旅や人生など、様々なことを本音で語り合う対談連載がスタート。
第4回目のゲストは、“ミキティ”の愛称で親しまれているスタイリストの相澤樹(あいざわ・みき)さん。
スタイリングという枠を超えて、「サナギ新宿」の空間デザインを手がけ、
下北沢カフェ〈yosonch〉をオープンし、セレクトショップの監修やオリジナルブランドの立ち上げ、
中国へのアパレル出店など、幅広く活躍している彼女のクリエイティブのルーツとバイタリティーの源とは——。
「ミキティのように世界観も全て
スタイリングできる人はなかなかいない」(板橋)
板橋 服をスタイリングするだけではなくて、世界観も全てスタイリングしていく人って、なかなかいないんですよね。ミキティが空間も含めて、全部をスタイリングするようになったのは何がきっかけなんだろう。
相澤 ほんとは洋服のデザイナーさんをやりたいって思ったんですよ。高校の時はパンクバンドのライダースにめっちゃ鋲を打つバイトをしてて(笑)。そのうちに、バンドの子から頼まれて、衣装を作るようになって。靴とか、アクセとか、足りないものを探すようになったときに、あ、私はトータルで見せるほうが好きなのかもって思って。ただ、その時はバンドに頼まれて歌詞まで書いちゃってたんですよね。
板橋 あはははは、プロデューサーさんみたい。
相澤 人に対して親身になっちゃうみたいで。やってあげられることはやってあげたくなるんです。喜んでもらえることが嬉しいなと思って。
板橋 人に喜んでもらいたいっていう気持ちがいつも溢れてるよね。
相澤 それは溢れてますね。全部、その延長ですね。「サナギ新宿」も、「ここにこんな人が来たらいいな」って想像して。
板橋 その想像力って、どこから生まれてくるのかな?
相澤 私、ひとりっ子なので、小さい頃はいつも、ひとり遊びをしてたんですよ。家も過疎地で、隣の家まで300メートルくらい離れてたから、ひとりで遊んでることが多くて。
板橋 何して遊んでたの?
相澤 基地が7個くらいありましたね。それも、ジャンル分けしてたんですよ。可愛い系とか、狩りをする部屋とか、戦う準備をする部屋とか。細かくジャンル分けが好きみたいで。それは影響してるかもしれないですね。
板橋 空間デザインだよね、それ。
相澤 もともと、そういうマニアックなのが好きなのかもしれないですね。あとは、漫画も大好きだから、いまだに寝る前に漫画を読まないと眠れないです。私はボーイズラブしか読まないので(笑)、BLは生きがいですね。
板橋 ふふふ。ファッションの分野でミキティを作ってるものって?
相澤 影響を受けたものですか? 私、小学校の時にファッションの道に進もうって決めたんですよ。
板橋 早い!!!
相澤 その前まではオリンピックに出たくて、ずっと水泳しかしてなかったんです。でも、小学校4年生の時にテレビで、ヴィヴィアン・ウエストウッドがファッションショーで日本に来たっていうニュースをやってて。その時に、もう雷が落ちて。「洋服、やりたい!」って。もともと小さい頃から洋服が好きで、お母さんも小2から東京に連れてきてくれてたんですよ。「MILK」の(大川)ひとみさんに会いたいなと思って、小3の時に「MILK」に行ったのが始まりですね。
板橋 私、「MILK」に初めて行ったの、中学1年か2年だったよ。はやっっ!
相澤 その時に買ったものを今も持ってるんですよ。
板橋 私もまだ持ってる。ネイビーのワンピースにコットンレースがついているワンピース。
相澤 私はネイビーのセーラーのセットアップ。ラインが黄色でめっちゃ可愛いんですよね。
板橋 私の母親が東京の洋裁学校に通っていたらしく、小さい頃から自分で手作りしたオリジナルの服を着せてくれてたの。母親が着せ替えみたいな絵をよく書いたりしてて。その影響もあってか、わたしも絵を書くのは好きだったな〜。
相澤 それはいい環境ですね。
板橋 ただ、縫い物には興味がなくて。工作の方が好きだったんですよね。
相澤 なるほど。だから、発想が面白いんですね。