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Candy Stripper デザイナー板橋よしえの「おしえてすきなひと」 第6回 AMO

「初めて会った時に、数年に1人会えるかどうかわからない
自分にとってのミューズだって感じたんです」(板橋)

——実際に二人が出会ったのはいつですか?
AMO それからまた数年後。私が18歳くらいの時ですかね。AYAMOと「読モTV」(TOKYO MX)でキャンディに取材に行ったのが最初ですよね。読モが原宿のいろんなお店を紹介する番組のなかで、私がキャンディストリッパーを紹介するっていう企画で初めて会って。
板橋 うわ! その記憶あんまりないなあ!?
AMO ふふふ。もともとキャンディのことは中学生の時から雑誌で見てたし、可愛いお店もキャットストリートにどーんとあったから、原宿に来るたびに、入りたいけど緊張して足を踏み入れられず、通り過ぎてて。自分のお小遣いではなかなか買えない憧れのお店だったし、原宿=キャンディ、『Zipper』『CUTiE』=キャンディっていうイメージもあって。だから、すごいドキドキして取材に行ったのを覚えてるんですけど、よしえさんともはじめましてだったのに、「AMOちゃ〜ん、会いたかった〜」っていう感じで迎えてくれて。
板橋 あははは。想像できるね。
AMO ガチガチに緊張して行ったんですよ。でも、いまでもそう思うんですけど、よしえさんって、有名な人なのに、誰に対しても平等に接するんですよね。それは、初めて会った時もすぐに感じて。心がすっと解けたのを覚えてます。

板橋よしえ AMO


板橋 私は、AMOちゃんと初めて会った時にものすごい衝撃があって。数年に一人会うことができるかどうかわからないくらい、自分にとってのミューズだって感じて。もちろん、キャンディ=100% AMOちゃんではないし、AMOちゃんもキャンディだけを着るわけではないんだけども、キャンディストリッパーというブランドを続けたい、もっといろんな服を作りたい! と思い続ける源の1つになった。前から可愛いなと思って見てたけど、実際会って、AMOちゃんを知るたびに、AMOちゃんの魅力にどんどん引き込まれていきましたね。AMOちゃん自身から発せられる言葉や身に纏ってる雰囲気はもちろん、ロリータカルチャーとストリートカルチャーをミックスしたAMOちゃん独自のスタイルは、キャンディストリッパーのブランドコンセプトと重なる部分が大きくて。ガーリーとストリートという、相反するスタイルを体現するAMOちゃんは、私に刺激を与えてくれる、大切な存在〈ミューズ〉になっていきました。そのくらいインパクトのある女の子って、本当に何年かに一度くらいしか会えないんですよね。それで、AMOちゃんにキャンディの2012年からLOOKのモデルをお願いして。AMOちゃんが着てくれると、作りたかったイメージが具現化出来たり、自分の想像を超えるかわいさで着こなしてくれたり。だから、また次はこんなの作ってみたいなっていう想像力がどんどん湧いてきて。長い間、LOOKのモデルを勤めてもらいました。
AMO モデルをやらせてもらっていた当時もそういうことを言ってくれていましたよね。「そのシーズンの洋服を考えて、商品が出来上がって、LOOKでAMOちゃんが着てくれた時に、やっと自分の中で完成する」って言ってくれてたのがすごく印象的で。私自身にとっても、キャンディで長くモデルをやらせてもらってた期間って、ほんとにAMOという存在を形成する上で、すごく大きな出来事だったし、なくてはならない経験でした。モデルとしてだけではなく、コラボアイテムも何度か作らせていただいて。
板橋 コラボも楽しかったね。
AMO 私のこだわりも、すごく尊重してくださって。アイテムをただ作るだけじゃなく、その先の撮影だったりも、どんな雰囲気で、どんな場所で、どんなスタッフさんを集めて撮りたいかっていうところも考えさせていただけて。表現する場を本当にたくさん与えてもらいました。
板橋 HIROMIXさんに撮ってもらった水着の撮影が一番思い出深いなあ。
AMO 楽しかったですね。よしえさんはクリエイティブな人だから、側で一緒に物作りしたり考えたりさせてもらった経験は今にもすごく活きてるし、当時の自分にとってはすごく心の栄養になっていたし、モデルとしての仕事のモチベーションにも繋がったし。しかも、撮影の度に、「AMOちゃんが着てくれて完成するんだよ」って言ってくれたことは、すごく希望だった。
板橋 私の方こそ、AMOちゃんに着てもらう度にモチベーションが上がって、次も頑張ろうって思えたよ。
AMO 仕事面でもそうなんですけど、撮影が終わる度にいつもご飯を食べに行ってて。プライベートのこともなんでも話してて。仕事の悩みとか、人間関係の話、恋愛の話、全部、親身になって、自分のことのように怒ってくれたりとかしてたから。そういう面でも、精神的に支えられていた瞬間がたくさんあったなと思います。

「全国のどこかにいる、私のような気持ちでいる子に届け!
というスタンスは昔も今も変わってないですね」(AMO)

板橋よしえ AMO

——AMOさんは現在、27歳ですから、よしえさんはAMOさんの18歳からの約10年の変化や成長も間近で見てきてるわけですよね。
板橋 そうですね。AMOちゃんが結婚して、子供も産んで。10代〜20代前半に築いたスタイルから自然に自分の生活に根ざしたスタイルに変化していって。AMOちゃんに憧れていた女の子たちは、みんなAMOちゃんの真似をしていたけれど、年齢を重ねて大人になったAMOちゃんのスタイルも、みんなが真似したいって思える、憧れの存在なのは変わってない。ライフスタイルが変わっても、常に自分のスタイルを発信できるAMOちゃんって本当に素敵だなって思っていて。そうして、変貌を遂げながらも輝き続けるって、なかなできないことだなって思うんだよね。
AMO 基本的には10代の頃に、雑誌に載りはじめた頃の意識とあんまり変わってなくて。選ぶものや着こなし方は変わりましたけど、「全国のどこかにきっといる、私のような気持ちでいる子に届け!」みたいな考え方というか、スタンスは変わらずにいるんですね。今の自分は大人とされる年齢で、同世代の方もいろんな環境の変化を迎える時期だと思うんですよね。私と同じように子育てが始まったり、年齢的にも今までのようなスタイルじゃいられなかったりっていう人が多いと思う。そういう人たちに、ファッションが好きっていう気持ちを諦めずにいて欲しいというか。好きなものを無理に変えてしまうのではなく、ちゃんとTPOに合わせたりとか、生活に馴染むような形で、今まで好きだったものを自然と生活の中に取り込めるようなスタイルを提案できるロールモデルでいたいなっていう気持ちでいて。やっぱり『KERA』『Zipper』に出てた時代を知ってる方からすると、めちゃくちゃ変わったな!っていう方もいると思うんですけど(笑)、根っこは変わらないんですよね。可愛いものは好きだし、当時、着ていた洋服も、当時、撮った写真とかも、たまに見返すと今でもときめくし。好きなものが変わったのではなく、増えたという気持ちですかね。
板橋 今は、たくさん情報がありすぎて、何を選択したら良いのかわからなくなってしまう時があると思うけれど、AMOちゃんが提案してくれたスタイルを自分に当てはめることで安心感が芽生える人はたくさんいると思う。
AMO ファッションは人の目を気にしちゃいけないとか、年齢なんか関係ないっていう考え方もあるじゃないですか。私もまさにそうだとは思うんですけど、自由なファッションが許される環境にいない人もいると思う。リアルに生活してると、いろいろ考えなきゃいけない立場の人が多いと思うんです。私は、どちらかというと、そういう人たちに寄り添うような存在でいたいなと思ってます。