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Candy Stripper デザイナー板橋よしえの「おしえてすきなひと」 第7回 大貫亜美

——PUFFYは結成23年目を迎えました。40代中盤になり、PUFFYを続けていくモチベーションはどう考えてますか? 大貫 楽しいからとしか言いようがないですね。昔みたいに、毎日、仕事で会うとかじゃなく、今は、1週間に何回か集まって、由美ちゃんに会う。2〜3日ぶりだとしても、その間にめっちゃ話があるんですよ。「ちょっと見た、あれ」とか。「ちょっと聞いた、これ」とか。会ってない、48時間の間の話が尽きなくて、面白い。
板橋 仲良し!
大貫 あははははは。なんなんだろう。楽しいんだよね。もともと一人じゃ不安な人たちが一緒になって、よかった〜って言ってるだけだったのが、今は公私ともによく知ってるから、プライベートであった出来事も聞いてくれるし、もちろん、仕事の相談もできるし。
板橋 由美ちゃんがいてくれてここ助かるなっていうところある?
大貫 取材で結構、喋ってくれる。テレビもそう。私が黙ってると全部、言ってくれる。「ごめん」と思いながら、横でニコニコしてる(笑)。
板橋 ふふふ。頼り甲斐があるね。端から見てると、絶妙に良い距離感を保っているなって思う。すごく仲良いけど、仲良いからこその絶妙な距離感があるというか。
大貫 あんまりベタベタではないから。……いや、ベタベタしてるな。こないだも休みの日に会っちゃったからな。よく知ってるからこそ、ここから先は忙しいんだろうなとかがわかるかな。なんだろうね。
板橋 お互いのプライベートな場は突っ込まないとかは大事にしてるのかな、と。
大貫 あるある。あと、結局、20年間、同じ境遇で戦ってきたからね。芸能界という、他に頼れる、信じられる人がいない世界で、お互いに身を寄せ合って生きてきたっていう感じかな。

「笑いのある日々を亜美ちゃんと
  ずっと一緒に楽しめたらいいな」(板橋)

板橋よしえ 亜美

——これから先はどう考えてますか? 最後にお互いにエールを送っていただけますか。 大貫 下の子の教育をしながら、常に新しいものを提供しなきゃいけないのは大変だと思うんです。そんな激務をこなしながら、子育てもしてて。すごい大変だなって思うけど、あんまり愚痴もこぼさないし、人のことを悪く言わない。悪口なしで、こんなに話題が尽きない人も珍しいなって思う。
板橋 あはははは。
大貫 よしえはこれからも必要とされるお仕事だから。定年ないでしょ、ファッションデザイナーって。ずっとやるでしょ。
板橋 もしもやれるなら、おばあちゃんになってもやりたいと思ってる。
大貫 ね。だから、私は陰ながら、PUFFYをやめた後でも、皆さんにお茶を配ったりして、キャンディにはうろちょろしようと思うので。ずっとお側でお遣いします。
板橋 PUFFYはやめないでしょ。
大貫 やめないか。あはははは。SMAの顧問を目指して頑張ります!
板橋 (笑)亜美ちゃんはなんだかんだ言いながら、常に自分のビジョンを描けるひとなので、PUFFYはもちろん、これからも亜美ちゃんにしかできない道を切り拓いて、楽しいことを提供してくれると思ってる。たま〜にロンパースをやりながら、ずっと楽しく、笑いのある日々を共に過ごすせたらいいな〜と思います! これからも末長くよろしくお願いします!
大貫  こちらこそ〜。

おおぬき・あみ
1996年、吉村由美とPUFFYとして奥田民生プロデュース楽曲「アジアの純真」でデビュー。「これが私の生きる道」や「渚にまつわるエトセトラ」などヒット連発。アニメのキャラクターにも起用され海外での人気も高く、日本のポップ・アイコンとして世界を舞台に活動中。
いたばし・よしえ
1995年、服飾系専門学校在学中に「Candy Stripper」を立ち上げる。1996年、株式会社ミニストリー設立。2017年、Candy Stripper BLACK Collectionをスタート。PUFFY 大貫亜美とのブランド「ROMPUS」が今年15周年を迎えた。