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Candy Stripper デザイナー板橋よしえ連載「おしえて好きなひと」 第14回 大島美幸

板橋よしえのおしえて好きなひと 板橋よしえ 大島美幸

「高校生の頃Candy Stripperを買うために
バイトをめちゃくちゃ頑張ってました」(大島)

 

——最初に、大島さんがCandy Stripperを知ったきっかけから教えてください。
大島 さかのぼること高校生の時なので、20……。あれ、ブランド始めて何年目ですか?
板橋 今年で24年目になるの。
大島 ……! ということは、私が知ったのは16歳くらいの頃なので、できて1年目くらいの時ですね。
板橋 早いっ!
大島 だから、もう初期ですよ。その時は『Zipper』とか『Cutie』に載っていて。高校生になって、部活もやってたんですけどバイトを始めて。何のためにバイトしたかっていうとCandy Stripperを買うためでした。
板橋 めちゃめちゃうれしい〜。
大島 友達と2人でお金を貯めて。栃木の田舎のほうから鈍行に乗って、まず、宇都宮行って。で、1軒だけセレクトショップみたいなお店でCandy Stripperさんを置いてるところがあって、そこで買うっていう。それがバイトをめちゃくちゃ頑張った原動力でしたね。服を選んでる時は、ほんとに幸せな時間でした。
板橋 美幸ちゃん、初めて買ってくれたものを今でもちゃんと憶えてくれているんだよね。
大島 憶えてます憶えてます! 黄色と黒のシマシマの、膝とお尻にてんとう虫がついてるニットのパンツなんですけど、もうお股が擦り切れるくらい穿きました! 手の施しようがないくらい穿きましたね(笑)。
板橋 そんなになるまで? うれしい〜〜〜。
大島 で、高校3年くらいになって、今度は東京に行けるようになって、パルコとかに行って買えるようになって。高校の時はCandy Stripper買いたい、それだけで生きてました。
板橋 なんども言いますけど、すっごいうれしいです。 ——(笑)そこまでCandy Stripperに惹かれた理由は何でしたか。
大島 やっぱりかわいい、それまでに見たことがない服だったんですよね。だから、こういう服が着たいって思ったし。私の友達にヒサエという子がいて、今だに仲いいんですけど、ヒサエと私は本当に大好きで、一緒にずっとずっと雑誌を見てました。私が『Zipper』買って、ヒサエが『Cutie』買って、互いに回し読みして。で、Candy Stripperの新作の写真を切り取って、ノートに貼ったりしてて。ヒサエと私は本当は服飾系に行こうとしてたんですよ。洋服が大好きだったから、スタイリストになりたくて。  
——スタイリストになりたいと思うくらい洋服が好きだったんですね。
大島 そうですね。雑誌『FRUiTS』も同時期に出てて。もう衝撃を受けたんです。なんて自由なんだ、なんて東京ってお洋服がかわいいんだって。栃木の田舎の方では、みんな若いのにどんよりした服を着ていた。そういうの着ていいんだ! って思って。
板橋 お母さんに怒られなかった?
大島 めちゃくちゃ怒られました。チンドン屋か! って言われて。
板橋 あははははは。
大島 まあ、誰もが通る道かもしれないですけど、すごい怒られて。高校を卒業してから髪の毛を染めたらまたこれも怒られて。
板橋 怒られるよね。
大島 すっごい怒られました。「恥ずかしいから、家に帰ってくるのを誰にも見られるな」とか言われたり。
板橋 あはははは。私も言われた〜。高校生の時にウイッグをかぶって原宿に通っていて。ブルマを穿いて、厚底履いて、60’sなエナメル素材のトランクバッグを持って。そしたら「恥ずかしいから地元ではそのウイッグをかぶらないで」って。「その格好も恥ずかしいからやめて」って。
大島 ありますよね。よしえさん、埼玉ですよね。埼玉でも言われちゃうんですね。栃木は確実に言われると思うんですけど。
板橋 何回も言われたよ〜。
大島 でも、だから、みんなが一緒の服になっちゃうんですよね。こういうのもかわいいねって言えたらいいのになって思ってました。なんでみんな一緒のもの着るんだろうっていう不思議な感じがありました。
板橋 うんうん。今はどんな格好をしてもだいぶ受け入れられてもらえるようになったと思うけれど、当時はかなり異端に見られることが多かったよね。